太極への旅人

木邨仁彦老師

 太極拳といえば「陰」と「陽」。

この矛盾する2つの 要素をいかに統一するか。

それが、太極拳を理解し、 かつマスターする為の
重要なポイントであることは疑い ありません。

「五陰五陽は妙手となす」との言葉があるように、
陰と陽が偏りなく配合されることが究極の目標とされるべきです。

そして陳式太極拳ににおいては、
剛柔相済、蓄発相変、快慢相間等がその特長とされていますが、
これらについても互いに矛盾する要素であり、
これらをいかに統一するかによって、
陳式太極拳らしさを表現できるか否かが
決まると言っても決して過言ではありません。


 しかし現実に太極拳を行じていく際に、 太極図の描くような、
陰と陽の絶妙な配合とスムーズな転換は、
なかなか修得できないものです。

初学者のほとんどは「陽」に偏り過ぎで、
「一陰九陽」の状態といえます。

特に陳式太極拳学習者はその傾向が顕著であり、
発勁や震脚等の剛的動作についついとらわれ
「陽」が勝り、その結果、力んでしまい、
太極拳練拳の最大の目的である、
「内勁」を全身に貫通させることがいつまで経ってもできません。

周元龍先生は
「陰と陽が相い具わってこそ太極であり、そうでなければ太極ではない」
と常に指摘されています。

そのことを太極拳を学ぶ者全てが銘記すべきと思います。

とは言っても、なかなか一朝一夕には身に付きません。

「拳打萬遍神理自現」の言葉どうり、
ひたすら練拳に打ち込んでいくことにより、
徐々に悟っていくべきものなのでしょう。


 悟ったようなことを書いておりますが、何をかくそう、
以上については私にとって最大の課題なのです。

私は陳式太極拳の剛の部分に憧れてこの道を歩もうとしたので、
それはもう、力みまくりの太極拳をやっていました。

そういう練習を長時間続けていくと「力んでいる」こと自体に気がつかなくて、
「力み」と「勁力による力強さ」とを混同してしまうようになります。

そうなれば、その太極拳は周元龍先生の言葉を借りて表現すれば
「太極拳に似て非なるもの」となってしまうでしょう。


 以上について、私自身、こんな経験をさせえていただきました。

1985年の8月に中国の西安で開催された
第1回武術国際招待試合に太極拳の選手として
出場させていただいたときのことです。

初めての国際試合でもあり、日本の太極拳の水準を
少しでも高くみせようと意識し過ぎたのでしょうか、
日頃の戒めをすっかり忘れて「力みまくり」の太極拳を表演してしまいました。

中国側の太極拳の選手はなんと陳氏19代の陳小旺先生でした。

出場名簿をみたときは非常に驚くと同時に、
なんとか陳先生のような力強い太極拳に学びたいと、
そのときはまだ謙虚な気持ちでおりました。

ところが、いざ試合が始まり、陳先生の次に演武台に登ったときに、
それまでの穏やかな気持ちが一遍にどこかへ吹っ飛んでいってしまいました。

どんな表演をしたのかもわからないぐらい我を忘れてしまいました。

成績はともかく、自分自身の感想としては最悪の結果でした。

上海から試合を見に来られていた周元龍先生に後で呼ばれ、
次のような注意を受けました。

「太極拳には「陰」と「陽」があり、動作において、それを、
「静と動」・「柔と剛」として表現してこそ「陰と陽」といえる、
君のは動や剛ばかりで、従って太極とはいえない。」
と指摘されました。

これには本当にそのとうりだと深く反省させていただきました。

そしてこの非常に貴重な体験をさせていただいたことにより、
自分の太極拳への取り組みが大きくかわらせていただくきっかけを
頂いたと思います。


 太極拳は本当に奥深い。また、五陰五陽への道は遥かに遠く、
その遠さに感嘆する毎日です。

しかし、この道に一歩、足を踏み出した以上、
その遥かな目的地に向かって一歩一歩、前進していくしか途はありません。

でも、道は遥かに遠くても、私達一人一人は砂漠の真ん中に
ポツンと置かれているわけではありません。

私達には確かな師があり、仲間達があり、
そして先達の遺してくれた多くの教えがあります。

それらをコンパスとして、正確にしっかりと、
共に、太極の道を歩んでいきたいと思います。


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